この記事では色弱である私の具体的な見え方、世界観、実際に困ったことや対処法についてお話したいと思います。
色弱の私のリアルな世界、見え方
わたしが色弱であることを認識したとき
わたしは小学校低学年の頃に学校で受けた色弱検査で初めて色弱であることを自分自身が認識したように思います。
丸い図形の中にいろんな色をした粒があり、中に見える数字などを答える検査です。
スクリーニング検査と言われるもので上記のような「石原式色覚検査」が有名です。
はっきりとは覚えていませんが、色弱検査を受けたという記憶は残っているため、少なからず恥ずかしい気持ちやびっくりした思いが残っているんだと思います。
色弱であるがゆえに記憶に残っている子供の頃の記憶
正直言うと、色弱であることで嫌な思いをしたことや、恥ずかしい思いをした記憶はあまり残っていません。
ただ、中学生の頃の記憶で今でも鮮明に覚えている出来事が唯一あります。
中学生の美術の授業で植物の写生をする授業がありました。
後でお話ししますが、わたしは緑と赤、茶色の区別が苦手であるため、植物の写生なんて苦手の筆頭みたいなものです(笑)
その授業の時、確か何か花が咲いている草か木を写生していたのですが、茎の部分を緑に塗り、葉っぱの部分を茶色で塗っていました。
それを見た先生は私に対してこう言ったのです。
「まじめにやりなさい!これは私に対する反抗ですか!?わざと違う色で塗っているのでしょう!」
先生には何の知識もなく、本心で言っていたのでしょうが、今の時代でこの発言をしたら即アウトでしょうね(笑)
当のわたしがその言葉を聞いて思ったことはこうです。
『あ~、枝は茶色で葉っぱが緑だった~。間違えちった(エヘッ)」
くらいのものです。でも先生がそこまで怒ったことにびっくりしたので記憶に残っています。
先生の言葉に対しわたしの思った内容を読んでもらえば分かる通り、中学生の時点で私は色弱であることを受け入れていたのでしょう。写生のように色を使うときは、『枝は茶色』、『葉っぱは緑』という知識をもとに色塗りをしていました。その時はたまたま勘違いして反対に塗ってしまっただけで、色の違いが分からない私にとっては、「どっちでもいい」ってことで、大した違いではないのです。
逆に正常な人にとっては、枝を緑に塗り、葉っぱを茶色で塗ることは理解できない摩訶不思議な出来事なんだな、と思った記憶です。
それ以降は、これといって印象に残る色弱びっくりエピソードはないかもしれません。
色弱であるわたしの見え方
色弱とひとことに言っても、人によってその見え方はさまざまです。
私の場合の具体的な見え方や、どういう場面で苦労するか、普段の感覚についてお話したいと思います。
わたしの場合、特に
赤、緑、茶色の区別が大の苦手
赤、緑、茶色の区別が大の苦手です。
妻やこどもと一緒に散歩していて、木に赤い実がなっていると言われても、茶色の幹、緑の葉っぱ、赤い実の区別がつかない私にとっては赤い実を探すのが一苦労です(笑)
妻こども「ほら!あそこに赤い実がなってる!」
わたし「どこ?どこどこ?」って感じです。
赤と緑の判別がつきにくいというのは色弱の代表的な特徴ではあるのですが、普段の生活の中では結構その色が使われています。
よくあるのは電化製品の充電ランプみたいなやつ。緑になったら充電完了とかまじ勘弁。消えてくれ。充電完了した時はランプ消してくれ!ってよく思ってました(笑)
電光色はほぼ見分けつかない
先ほどの例にもつながりますが、実は赤と緑に限らず、わたしの場合、電光色になるとほぼどの色も判別できません。
特に電光色が使われるのって、電化製品のめっちゃ小さいランプだったりするからかもしれませんが、もう説明書を読む気にもなりません(笑)
ランプがついているか、消えているかの判断のみです。
色が薄くなればなるほど、もう全色分からない
先にお話しした通り、わたしにとって色の判別が難しい代表的な色は赤、緑、茶色ですが、代表的という意味は色が濃くても分かりにくい、いわゆる原色で塗ってあっても分かりにくいという意味です。
それ以外にも、青、紫、水色なども、私にとっては濃淡の違い程度かもしれません。
これが薄い色になるともう見分けがつきません。
薄い色になるとわたしにとっては「白」か「青っぽい」か「黄色っぽい」の三択のような気がします。
よって、わたしの前で、化粧をしてほんのりチークはほぼ無意味なのです(笑)
薄いピンクは特に見えない
薄い色で特に苦手、かつ結構普段の生活に取り入れられているピンクが苦手です。
代表的なものは、桜の花。いまだかつてピンクと認識したことはないかもしれません。白です。
でも満開の桜は十分綺麗です!
薄くなくても、赤やピンクの蛍光ペンは見にくいですね。
重要なところにみんな赤やピンクの蛍光ペンをマーカーしたりするじゃないですか。
見えません。重要なところなのに際立ちません。
なので、わたしは自分が見やすい黄色が重要マーカーです。
顔色が分からない
わたしは特に人工的な色ではなく、自然な色合いがどの色であれ判別しにくいところがあります。
例えば、顔色が悪い。目が赤い。照れて顔を赤い。とか。
いつ見ても、いつも通りのあなたです。
色弱であるわたしの普段の感覚
小学校低学年で色弱であることを認識してから、はや40年以上生きてきたわけですが、正常な人とどのような点で感覚が違うのか。
正直、正常な状態を体験していないため、比較のしようがないのですが、予想であったり、それこそ感覚的なところをお話したいと思います。
まず
普段から色を意識していない
よく妻やこどもと話しているとき、その日に会った誰かの話をするとき、「青いTシャツを着ていた子!」とか「黄色いセーターを着ていたママ!」とか言われますが、まず特定できません。
色弱生活が長いからかもしれませんが、普段から色を見ることを放棄しているのかもしれません(笑)
基本なにかを観察するときも、形状や濃淡が優先されている気がします。
自分が苦手な範囲の色を表現するときは、ほぼ知識に基づいている
たとえば、葉っぱは緑、枝は茶色。みたいなことは知識として知っているだけです。
紅葉でほんのり赤くなったり、枯れて茶色になった葉っぱとか勘弁です。
それでも色が見えていないわけではなく、綺麗なものは綺麗
とはいえ、だからといってまったく色を意識していないわけではありません。
色が細かく判別できなくても、綺麗なものは綺麗ですし、色彩豊かな絵画を見て感動もします。
色弱であることに負い目を感じてはいないけど、間違ったら恥ずかしいなと思うことは今でもある
色弱とともに40年以上生きてきて、特に負い目を感じたことはありませんが、間違えないようにしなくちゃな、とか間違ったら恥ずかしいな、と思うことは今でもあります。
例えば仕事で資料を作っているとき、やっぱりモノクロよりも色を使い分けて作った方が見栄えもよく見やすくなります。
ただ、色使いや色の選択ミスをすることがあります。
「この黄色のアンダーラインと緑のアンダーラインの使い分けはどういう意図があるんですか?」って言われて、
「全部黄色のつもりでした!」なんてこともちょいちょいあります。
色弱なので間違えちゃったー、で終わるのですが、やっぱりちょっと恥ずかしい気持ちはあるのは事実ですね。
さいごに
いかがでしたでしょうか?色弱のリアルな世界観は。
私が苦手な色のひとつである赤という色は、一般的な皆さんにとっては、とても協調する色としてよく使われますよね。
その赤が見えないと言うと、今でも結構びっくりされます。「ほんとにこれ見えないの?」みたいな感じで。
この記事を読んでいるあなたが同じように色弱をもっているとしたら、似たような経験を幾度となく経験し、色弱あるあるに共感してもらえる部分もあったのではないでしょうか(笑)
色弱と診断され、不安になりながらこの記事を読んだ人もいるかもしれません。
でも安心してください。なんとでもなります!
判別できないものは判別できない。と受け入れてみてください。そしてその上で、色弱とどう付き合っていくか。です。
今では色弱をサポートしてくれるグッズやスマホアプリなど色々あります。
色弱とうまく付き合っていく工夫や不安に思っている人へのアドバイスがありましたら、ぜひ教えて下さい。
色弱LIFEを楽しめるよう、色々と情報共有していけたら幸いです。
それでは今回はここまで。
では~
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